1945年の8月6日、広島市内で『第3期本因坊戦の第2局』が行われました。その対局中に原爆が投下。対局が行われていた場所は爆心地から5kmの地点だったとのこと。なかなかに衝撃的な話です。『原爆対局』とか『原爆の碁』とか言ったりするようですね。

興味深いなと思いましたのでちょっと調べてみました。

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目次

爆心地から5kmで被爆した

タイトル戦と言ったら『午前9時から開始』というイメージですが、8時15分時点で対局していたようです。と言うことは、当時は『午前8時から開始』だったのかもしれません。

対局場にいたのは

橋本宇太郎本因坊
岩本薫七段
瀬越憲作八段(立会人)

の3人。

地図で表示しているのが『原爆が爆発した地点』『対局していた大まかな場所』です。直線距離で約5kmの場所で対局していたとのことです。たったの5kmです。かなり近いですよ。

対局中、原爆の爆風によって、ガラスは割れ、碁石が飛び散っただけでなく、橋本宇太郎本因坊も外の庭まで吹き飛ばされたとか。

それだけのことが起こったにもかかわらず、部屋を掃除した後、対局は続けられたそうです。本因坊が5目半で勝利したとか。

これは『爆発が起こった方向』に助けられたのだろうなと思います。

『橋本宇太郎本因坊は外の庭まで吹き飛ばされた』とのことですが、一般的に庭は建物の南側にあります。ということは『タイトル戦の対局は建物の南側の部屋で行われていた』ということになると思います。

もし原爆の爆発が南側からだったなら光熱と爆風の直撃を受けて命にかかわっていたと思います。しかし、爆風の方向は北東からでした。これは不幸中の幸いであったと言えそうです。

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対局の棋譜を紹介

『原爆の碁』と言われる対局は『第3期本因坊戦』の第2局目です。当時は3日かけて行われており、8月6日は対局の最終日だったみたいですね。

対局日: 8月4日(土)・5日(日)・6日(月)
白番 : 橋本宇太郎(本因坊)
黒番 : 岩本薫(七段)

結果 : 白、橋本宇太郎(本因坊)の5目勝ち

当時は『コミ』が無かったようです。ですから『コミ6目半』を考慮するなら『白の11目半勝ち』ということになります。

原爆が爆発したのは白の橋本本因坊が『106手目』を打った後だとか。2日間も対局が行われていて3日目だったにもかかわらず、このあたりまでしか進んでいなかったんですね~。『序盤の方が難しく時間をかけている』というのは今も昔も同じなんでしょうね。

個人的には『106手目』よりも、爆発した後に岩本七段が打った『107手目』の方が興味深いです。果たして、どういった心境で打ったのやら。

対局は『240手』で終局。ま~何にしても、対局中のさなか外は大騒ぎだったのではないでしょうか。

・煙が上がっている
・家事も発生している
・多くの家が半壊、全壊している
・ケガ人が多数で大騒ぎ

5kmという距離なら、建物の外では想像を絶するような事態になっていたと思います。対局を続けるのはかなり精神的にきつかったのではないでしょうかね~。

関係者は長生きした

何にしても広島にいたわけですから『被ばくした』と言うことにはなります。また、次の日の8月7日に調査のため広島市内にも入っていとのことですから『残留放射能』も受けてしまっています。

では、放射能を大量に受けてしまった3人はどうなってしまったのか・・・・・?

・橋本宇太郎(当時38歳)
・岩本薫(当時43歳)
・瀬越憲作(当時56歳)

1945年の8月6日時点で上記の年齢で被爆した3人は・・・・・・

・橋本宇太郎(87歳没)
・岩本薫(97歳没)
・瀬越憲作(83歳没)

結構長生きしましたね。

昭和初期の平均寿命は48歳であったとどこかで読んだことがあります。であるにもかかわらず、こんなに長生きしたんですか、なるほど。

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