11月17日は御城将棋にちなんで『将棋の日』ということになっています。しかし、歴史を見れば同じ日に御城碁もやっていたんですよね。にもかかわらず何故、将棋連盟はこの日を『将棋だけの日』みたいな名称にしたのか?

囲碁打ちの私にしてみればなんとも納得のいかない話しです。ということで、ちょっと調べてみました。

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目次

『将棋の日』って何?

wikiの『将棋の日』にはこのようなことが書かれてあります。

江戸時代、将棋好きであった徳川家康は、将棋(本将棋)を囲碁とともに幕府の公認とした。延宝八年(1680年)頃からは公務として将軍御前で指す「御城将棋」が行われるようになった。そして家康と並んで将棋を好んだといわれる、八代将軍徳川吉宗の享保元年(1716年)から、年に1度、旧暦の11月17日に「御城将棋の日」として御城将棋を行うようになった(なお、御城碁も同じ日に行われていた)。

このことを由来として、1975年に日本将棋連盟が11月17日(新暦)を「将棋の日」と制定した。

(引用元:将棋の日wikiより)

こうしてみると『将棋がメインで、囲碁はおまけ』みたいな内容になっているんですよね~。ま~将棋がメインであるため致し方ないと言えばそうなのですが、囲碁打ちの私としてはどうにも引っ掛かります。

ということで、囲碁と将棋の双方の情報を時系列順にまとめてみました。

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『御城碁』と『御城将棋』の歴史

1608年: 駿府の家康御前にて本因坊算砂と林利玄の囲碁の対局が行われた
毎年三月に他家の棋士を率いて江戸城に登城し、将軍に謁見して御前試合を行なうようになる
1626年: 二条城徳川秀忠御前で両者の対局が行われたのを、一般には御城碁の始めとしている
1637年頃 に将棋の対局も行われるようになった
1716年: 御城碁と御城将棋は旧暦11月17日に行われるようになった
1975年: 日本将棋連盟が11月17日(新暦)を「将棋の日」と制定
(引用元:御城碁wiki将棋所wiki将棋の日wikiより)

こうしてみると『御城碁』が先に始まっているようです。後から『御城将棋』が始まってますね。つまり、流れとしては御城碁があったからこそ御城将棋もありえたということになってきます。

そして、1716年に御城碁と御城将棋は『旧暦11月17日』に行うようになりました。この日は囲碁と将棋の両方をやっていた日ということです。にもかかわらず、1975年に将棋連盟は11月17日を『将棋の日』に制定してしまいました。

これって・・・・・おかしくないですか?

『将棋だけをやっていた』なら『将棋の日』で問題ないと思います。しかし、実際には囲碁と将棋の両方をやっていたわけです。ですから命名するなら『囲碁将棋の日』にするべきでしょう。にもかかわらず将棋連盟は『将棋の日』にしてしまっているんです。囲碁打ちとして納得のいく話ではありません。

そもそも、『将棋連盟』は『囲碁の日本棋院』に前もって話をしたのでしょうかね~? 日本棋院に話を通した上で『将棋の日』と制定したということなら、ま~仕方がないかなとも思えます。しかし、もしそうでないなら将棋連盟は今からでも『囲碁将棋の日』に改名するべきだと思うんですけどね~

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